銀河の森ができるまで

◆最初のきっかけは3.11

私たち夫婦が都会での生活に不安を感じ始めた最初のきっかけは、2011年3月11日に起きた、東日本大震災でした。

それまで東京で暮らしていましたが
震源地と比べると被害は少なかった東京であっても、スーパーの棚から水や食料品、災害用品があっという間になくなりました。

スーパーへの供給や、電気・ガスが止まったら何もできず、都会生活のリスクを感じました。

震災の翌年、子供ができ、後述しますがその子が難病になった事をきっかけに、本来の人間らしい自然な衣食住を真剣に考えるようになりました。

東京では、震災がおきた時、食料も十分に確保することができません。
避難場所として、いざという時は首都圏から歩いて行けて、自給自足ができ、食料が確保できる場所・仲間や大切な人達が避難しても受け入れられるような場所を、子供が3歳になった頃から探し始めました。

◆なぜ、神流町を選んだのか?

はじめは移住ではなく、先ずは畑探しからスタートしたところ、群馬県の神流町に以前住んでいたという方が畑を貸してくれる事になり、この地と巡り合うことができました。
東京から2、3時間の場所での2拠点生活を考えていた私たちにとって神流町はちょうど良い場所でした。
通っていく中で、私たちが理想としている条件の場所だと氣付き、いずれは移住しようと決意しました。

①津波のない、標高350M以上の場所

②地盤が硬く、地震の影響が少ない、温泉のない場所
温泉がある場所は火山の影響があるので、温泉のない所。噴火が起こると火山灰などで水が飲めなくなる等。

③東京から歩いて行ける距離
震災が起きたときに、いざとなれば子連れでも、東京から2、3日で歩いていける距離の場所。

④放射能の影響が少ない所
調べたところ、風向きもあると思いますが、
山の谷間なので関東の中でスポット的に放射能の影響が少ないとデーターが出ていること。

⑤広葉樹があるところ
広葉樹は、針葉樹と違い、ドングリなどの実が生ります。クマなどが山にいても食料が豊富で、人里まで降りて来にくい為。

⑥開発が大きく進んでいない場所
電車などの公共交通機関が発達しているエリアは、既に物価も高く、お金がかかります。
また、大手企業進出や大規模な開発が行われていない為、新しい事業がやりやすいと思いました。

◆神流町での物件探し

神流町をとても気に入ったものの、住む為の物件がなかなか見つかりません。
不動産屋もないので、まずは町の人達と仲良くなり、人脈作りから始める他ありませんでした。

物件は見つからなかったものの、畑を借りることはできたので、まずは旅館に泊まりながら、作物を育てることから始めました。避難場所でもあり、自給農ぐらいはできないといけないと考えました。

しかし、月に1度ほど来て物件を探しながらの畑仕事は、毎日世話ができる訳ではないので、なかなか思うような収穫は難しく、旅館に泊まりながらの田舎通い生活に限界を感じるようになりました。

◆通っているうちに、町の人と仲良くなった

こうして「毎月東京からやってくる変わった家族」として、少しずつ町の人に認知されるようになり、
出会う人達に、私たちの考えていることを伝えていくと、応援して下さる人が増え、
物件を貸してくださる人が見つかり、本格的に神流町と東京の2拠点生活が始まりました。
息子と同級生のお友達もでき、家族で神流町に馴染むことができ始めたことに、来る楽しみがさらに増えました。

◆息子が難病に

3.11の翌年、2012年、わたしは41歳で初産、難産でしたが、とても元氣な息子が生まれました。
しかし一歳を過ぎた頃、息子が川崎病という難病にかかり、入院生活を送ることになりました。かなりの重症で、実家が神社なので父に御祈祷を頼むほどでした。

川崎病は原因不明と言われていますが、どうしても疑問は拭いきれず。
調べていくと、息子が受けた予防注射の影響と、両親が長年溜め込んだ化学物質や医薬品、添加物などの毒物によって汚染された土壌から生まれた事による影響もあると分かりました。

息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
なんとか症状が寛解するためにできることは全てやろうと思い、徹底的に情報収集をしました。無我夢中でした。

まずは経皮毒を減らすために今までの息子の服を全て捨て、合成洗剤や柔軟剤をやめ、シャンプーなどの美容用品を変えました。
着る物の素材にこだわり、体に害のある化学物質を使っているものを極力排除しました。

次に、夫婦共々、それまでは正直健康とは言えない食生活を送っていたので、食べるものを変えていきました。
極力無農薬のもの、種にこだわったものを買い、ホルモン剤等を使っていない健康なお肉、魚は天然の物を選び、水も色んなものを試しました。とにかく良いと言われるものはどんどん試していきました。

私は元々、ヘアメイクアーティストをしており、これまでも美容や健康に関する商品や食べ物をたくさん試してきましたが、
マスメディアが伝えることや雑誌に載っているような、一般的な美容や健康に関する情報はほとんど間違っている事が、この頃分かってきました。
健康に良いと思ってやっていたことが、かえって不健康な身体を作っていたのです。

料理は元々好きでしたが、知識はなかったので、家族と自分が健康になるために勉強・研究をしていきました。

深掘りして芋づる式に勉強しているうちに、現代医療だけに任せておけないと思い、食だけでなく自然療法や東洋医学にも出会い、学校に通い納得いくまで学びました。

◆息子の川崎病、夫のアトピーが治った!

自然療法を学び、食や体に取り入れるものを変えていくことで、息子の症状は目に見えて良くなっていきました。

発疹の症状は時折あり、年に4回ほど42度の熱を出し、その度にひきつけと発疹の症状が出ていましたが、薬には頼らず自然療法で乗り切りました。熱を出す度に体内の毒を出し、だんだん症状が軽くなっていき、発疹も少なくなっていきました。数年間それが続きました。

西洋医学的には、大人になるまで定期的に病院で検査の必要があると言われていましたが、検査する必要もないほど体力もつき元氣はつらつに!
現在息子は人一倍元氣に過ごしています。

また、夫は長年ひどいアトピー持ちでしたが、毒だしを考え素材と旬にこだわった手作り料理を食べているうちにデトックスが進み、今ではアトピーがほとんど分からないぐらいまで改善しました。完治と言っても良いのではないでしょうか。

「たくさん食べたい」と言う夫は量は相当たくさん食べますが、野菜と肉のバランスや、油の質、素材にこだわったものを食べていけば、たくさん食べても太らない事がよく分かりました。
実際、昔は90キロあった夫の体も、30キロも痩せて今の健康な体になりました。

◆自分達だけでなく、縁ある人に伝えたい

息子と夫の改善、また自分自身も冷え性、不眠症など色々な体調不良を抱えていましたが、どんどん改善していきました。
今までは自分と家族の為にこだわってきましたが、それだけではもったいない、縁ある人にも医療の事、衣食住、自然に適った生き方をするという考え方を伝えていきたいと思うようになりました。

人間は食べたもので作られるのだから、まずは食の大切さを伝えたい。

オーガニック系の料理店はとにかくたくさん行ってみましたが、
素材で勝負しすぎているのか、とても薄味だったり、化学調味料のような味がしたり、、
自分が求める所まで徹底的にこだわっている美味しい料理店にはなかなか出逢えませんでした。

「ならば自分で作って皆さんに食べてもらおう!」と思い、応援してくれる友人のお宅を借りたり、自宅のリビングを使って、「まなみんの食卓」というランチ会を始めました。

まなみんの食卓では、旬のもので固定種在来種、無農薬、無添加の食事を用意しました。
もちろん調味料は昔ながらの製法の物だけを使います。
無添加のものは不味いと思っている人にもちゃんと美味しくできるということも伝えたかったし、一緒にお話しながら食べることで少しでも食の大切さを感じでもらえたらと思い、定期的に手料理を振舞いました。

口コミで広がり、自然派の方はもちろん、食や美に興味のある方、医師や経済界で重役を務める方など、おかげさまで多くのご縁をいただきました。

◆都会生活での限界

お伝えしている情報が確かなものだとしても、
自分自身が「都会」に住んでいながら、自然に適った生活の大切さを訴えていることに、だんだんと違和感を感じるようになりました。

もちろん、都会に住みながらも、なるべく自然に近い生き方を取り入れて実践する事は、とても素晴らしい事ですし、そういう人が増える事は大切な事で本当に嬉しいです。

しかし、それを伝える私が都会に住みながら
自然に適った生き方をしてますと言っても、人に響かない、まだまだ微力だと感じるようになりました。

人間は自然の中が一番癒されます。本来は人間も自然の一部です。自分が自然の一部に戻り、それを体現して、その上で確かな知識や情報を伝えたい。

雑多の中で暮らすのは違うなと思い、本格的に神流町への移住を考え始めました。

◆コロナの流行が移住を後押し

そのような背景があり、2拠点生活ではなくいつか完全に移住をしたいと考えていましたが、仕事や息子の学校や習い事の事があったので、移住の時期をなかなか決められずにいました。

しかし2020年に入り、コロナが流行し、都会生活は一変しました。

小学校も休校になり、習い事も全て休み、外でも遊具すら立ち入り禁止で、人々はマスクをし、、理解に苦しむ対策ばかり。
一体どうなってしまうんだろう、、
政府マスメディアの言いなりの都会生活に、ますますうんざりしてしまいました。
そんな中2020年6月、息子が「もうぼくは神流町に住みたい!」と言ってくれたのです。

どんっ!と背中を押されたと感じた夫と私はすぐに準備を始め、決断から2か月で東京の家が売れ、8月中旬には本格的に移住することになりました。

◆銀河の森のこれから

移住してから一年。
ようやく準備が整い、2021年9月19日、銀河の森のオープンまで辿り着きました。

銀河の森は3階建てで、1階は美容室、2階は客室、3階はレストランとなっています。

今後ヨガ、よもぎ蒸し、音叉療法、野草カフェなども考えているので、銀河の森に来る方々をより癒せるよう、仲間を募って実現していきたいと思っています。

また、自宅の敷地内にまなみんの工房を作っています。
そこで醤(ひしお)などの発酵食品や、免疫を活性化させる野草茶などを作っています。
完成したら銀河の森で提供するのはもちろん、なかなか神流町まで来られない人向けに、Web販売をしていきたいと考えています。

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